多くの才能ある俳優がスクリーン上で人々を魅了します。
その中でも渡辺謙さんは特別な存在感を放っています。
実際に、彼の演技は国内外で高く評価され、数多くの賞を受賞してきました。
しかし、彼の魅力はその演技力だけにあるわけではないでしょう。
こちらの記事では、渡辺謙さんの源泉、略歴と心の変遷を考察してみます。
彼の歩んできた道のりを一緒に振り返ってみましょう。
渡辺謙: 日本の舞台からハリウッドの光へ
新潟からの出発 (1959年〜1978年)
1959年10月21日、新潟県北魚沼郡広神村に生まれる。
渡辺謙さんは、幼少期から音楽に親しみ、高校時代は吹奏楽部でトランペットを担当します。
しかし、家庭の経済的な理由から音大進学を断念し、演劇の道へと進むことになります。
舞台から映画への転身 (1982年〜1986年)
1982年にテレビデビューを果たし、1984年には映画デビューも成功させます。
特に1987年の大河ドラマ『独眼竜政宗』での主演は、彼のキャリアにおける大きな転機となり、全国的な知名度を獲得しました。
闘病と復帰 (1989年〜1995年)
1989年、映画初主演となるはずだった『天と地と』の撮影中に急性骨髄性白血病を発症し、降板を余儀なくされます。
生命も危ぶまれましたが、約1年間の闘病生活を経て、治療を続けながら俳優業に復帰。
「30代のこの経験で死生観が変わった。」と言う彼に、大きな影響を与えました。
渡辺謙: ハリウッドスターへ「ラスト サムライ」「硫黄島からの手紙」
事務所移籍と新たな地平へ (2002年)
2002年、渡辺謙さんは演劇集団 円を退団し、所属をケイダッシュに移します。この移籍は、彼のキャリアにおける新たなスタートを意味しました。
ハリウッドでの挑戦 (2003年)
2003年、渡辺謙さんは映画『ラスト サムライ』でハリウッドデビューを飾ります。
(監督はエドワード・ズウィック。トム・クルーズの他に、真田広之、中村七之助、小雪なども出演)
この作品での彼の演技は世界中で高く評価され、国際的な注目を集めました。
当初、渡辺謙さん自身はハリウッド進出に対して消極的でしたが、周りの方々の推薦と協力によりこのチャンスを受け入れることに。撮影に参加してみると、ハリウッド映画の懐の深さに気づき、新たな演技の世界への扉が開かれたようです。
人生とキャリアの深化、国際的な活躍 (2005年〜2008年)
『ラスト サムライ』出演後、渡辺謙さんは『バットマン ビギンズ』(2005年)や『SAYURI』(2005年)など、ハリウッド映画への出演を重ねます。
深い共感を呼んだ『明日の記憶』(2006年)
2006年、渡辺謙さんは映画『明日の記憶』で主演を務め、若年性アルツハイマー病に冒される主人公を演じる。
この作品での役柄選択は、彼がこれまで避けてきた、患者役や医療関係者役、難病を扱った作品への挑戦を意味し、自身の闘病経験と重なる部分があり、深い共感を呼びます。
また、映画公開と同時期に自らの著書『誰? – WHO AM I?』を発表。白血病治療中にC型肝炎ウイルスに感染した経験の告白がありました。
国際的な評価を確固たるものにした『硫黄島からの手紙』(2006年)
2006年、渡辺謙さんは映画『硫黄島からの手紙』に出演しました。
(監督はクリント・イーストウッド。共演に二宮和也、伊原剛志など)
この作品での彼の演技は世界中で高く評価され、国際的な注目を集めました。
アカデミー賞にも名を連ねるなど、彼の演技力が世界中で高く評価されるきっかけへ。
クリント・イーストウッド監督との特別な絆
2006年の映画『硫黄島からの手紙』で、渡辺謙さんはクリント・イーストウッド監督と初めてタッグを組みました。イーストウッド監督の深い人間理解と、俳優としての豊富な経験が、渡辺さんの演技に新境地を引き出したようです。
イーストウッド監督自身も俳優として著名で、『荒野の用心棒』(1964年)、『ダーティハリー』(1971年)など、数多くの名作に出演しています。
『硫黄島からの手紙』の制作にあたり、イーストウッド監督は戦争の悲劇を日米両国の視点から描くことに深い情熱を注ぎ2部作品を制作。米国からの視点の作品は『父親たちの星条旗』(2006年)
クリント・イーストウッド監督との出会いは、渡辺謙さんにとってただの仕事以上のものであったようです。渡辺謙さんが将来、監督業に挑戦する可能性については、ファンの間でもしばしば話題に上がるようですが、監督としての作品も生み出されることがあるかもしれませんね。
渡辺謙: 福島支援とブロードウェイへの挑戦、そして現在
東日本大震災への対応と支援活動(2011年〜現在も継続)
2011年3月11日、東日本大震災の発生直後から、渡辺謙さんは被災地支援に積極的に関わります。
2013年に宮城県気仙沼市の港にカフェ「K-port」をオープン。
日本にいる際は、可能な限り月に一度の現場参加をし本人も店頭にたつ朝食会を行い、また毎日FAX通信を通じてカフェの経営に関わっているとのこと。
このカフェは、被災地の人々に対する温かい支援の場となっており、渡辺さんの強い思いと、
「当初考えていたよりも深く関われている気がします。恐らく最初から大志を持っていたら、挫折しました。積み重ねていく方が続いたし、関わる方々にもできるだけ無理をさせない。できるだけ対等でいたい。」
という言葉が形となって現れているようです。
新型コロナウイルスの影響で、カフェの10周年を祝うイベントの開催が叶わなかったことは、とても大きな心残りとしてあるようです。
影響も落ち着いた今年2025年は、なにか企画されるかもしれませんね。要注目です!
ブロードウェイでの新たな挑戦、そして試練(2015年〜2016年)
2015年、渡辺謙さんはブロードウェイミュージカル『王様と私』に挑戦し、その演技でトニー賞にノミネートされました。
この挑戦は、彼のキャリアをさらに多様な方向へと進化させ、国際的な舞台での存在感と演技力を改めて世界に示しました。
その最中突如、2016年2月9日には早期の胃がんが発見され、手術を受けるという試練に直面します。しかし、2時間弱の手術と4日間の入院後、自宅療養を経て、3月5日には渡米し、『王様と私』での舞台に再び立ちます。
この一連の行動は、世界のケン・ワタナベとしての、プロフェッショナリズムと強い意志を示す出来事として、多くの人々に感銘を与えました。
福島第一原子力発電所事故を描いた「Fukushima 50」での受賞(2019年)
渡辺謙さんは、2019年製作の映画「Fukushima 50」で、福島第一原子力発電所の所長・吉田昌郎役を熱演し、第44回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞。
この作品は、2011年の東日本大震災と福島第一原子力発電所事故の真実に迫り、受賞時、渡辺さんは
「福島の力を(受賞者に贈られる)このブロンズに込めていただけたと思っている。
福島の皆さん、取りましたので、どこか飾ってもらえるところに寄贈したい。
本当にありがとうございました」
とコメントし、彼の深い人間性と福島の人々との強い絆を感じさせます。
記事参照元(福島民友新聞2021年3月20日より https://www.minyu-net.com/serial/fukushima50/FM20210320-596379.php
新たな道への一歩(2022年)
2022年12月30日、渡辺謙さん(63歳)は21年間所属したケイダッシュを同年末をもって退社し、2023年1月1日から独立することを明らかにしました。
当時のコメントがありましたので、そのままご紹介です。
俳優としてあと10年、自分に何が出来るのか?
世界への挑戦をずっと支えてくれた川村会長が『かわいい子には旅』と快く送り出してくれました。
本当に感謝しています。
これからも作品作りに真摯(しんし)に向き合いたいと思っています」
参考記事:日刊スポーツ 渡辺謙21年間所属した事務所からの独立発表「俳優としてあと10年、自分に何が出来るのか?」2022年12月30日 こちら
新たなハリウッド挑戦と大河ドラマ新境地(2023年〜2025年へ向けて)
2023年、渡辺謙さんは、64歳の誕生日に、メインキャストとして出演したハリウッド映画『ザ・クリエイター/創造者』の公開を迎えます。その演技力で再び国際的な注目を集めました。
さらに、2025年には横浜流星さんが主演する大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」に出演することが決定。この作品では、相良藩の藩主で、幕府の重役を務めた田沼意次を演じます。学校の教科書では賄賂政治の代名詞みたいに紹介される人物ですね。
しかし、近年の研究では、その田沼の経済手腕を再評価され、その全く違う人物像を届けたいと、豊富を語られています。
まとめ
いかがでしたか。
ふとしたことがきっかけで、気仙沼でカフェを経営されながら、福島支援を継続されていることを知り、すてきな方だなと、調べ始めたら、、、本当にすごい方ですね。
映画作品や受賞歴などは、掲載しきれませんでした。お許しください。
また記載に誤りありましたら、教えてくださいませ。
2016/3月のインタビュー記事の最後に、
「今の時代に生きている自分に何ができるのかを考え続けることしかないんですよね」
との言葉がありましたが、
約10年後の事務所卒業、独立時にも同じことをお話されており、
本当にそのまま、自分自身の心に素直に、挑戦し続けている方なんですね。
それが、その笑顔と、応援されるご縁の広がりとへつながっているのだなぁと強く実感しました。
そして、ますますファンになりました!
今年は、気仙沼市の港にある、カフェ「K-port」に行ってみます!!
カフェ「K-port」公式サイト 設立エピソード・渡辺謙さん
気仙沼観光推進機構紹介 カフェ「K-port」 近隣の楽しみ方も調べられます!
(追伸)2024/2/25放送【ニノさんとあそぼ】にゲスト出演されました!
サプライズで、二宮さんにカフェスタッフで働いてもらったんですよ(@@わおー
この投稿をInstagramで見る
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#ニノさんとあそぼ
お揃いシャツに身をつつみ😍
やって来たのは
謙さんカフェ K-port @気仙沼ニノ 人生初バイト
ちゃんと近くで見守る 風磨陣🤭お客さんにバレずに
サプライズ大作戦は成功なるか…!?ついに 今夜7時🤩
この後 #シューイチ #ニノさん#渡辺謙#二宮和也 #菊池風磨 #陣内智則 pic.twitter.com/PUWSYWvCFJ— 【公式】ニノさん (@ninosan_ntv) February 24, 2024
参考記事一覧
以下、記事作成にあたり参考にさせていただいたインタビュー記事です。
・婦人公論.jp 【連載】名優たちの転機・だから夢は持たない<後編> 2023年03月16日 関容子さんインタビュー記事 https://fujinkoron.jp/articles/-/7967
・東京新聞東京web 東日本大震災10年 渡辺謙 リモートインタビュー 「趣味、気仙沼」一緒にカフェ 2021年3月11日 (聞き手・古谷祥子) https://www.tokyo-np.co.jp/article/90818
・ユーチューブ「渡辺謙 独占インタビュー第1弾」FCI NY News Catch!
2016/03/15
※こちらは、『王様と私』に復帰が3月5日には渡米とありますので、まさに直後のインタビューになっているんですね!
・福島民友新聞 「Fukushima50」日本アカデミー賞6冠 渡辺謙さん助演男優賞 2021年3月20日 https://www.minyu-net.com/serial/fukushima50/FM20210320-596379.php
・日刊スポーツ 渡辺謙21年間所属した事務所からの独立発表「俳優としてあと10年、自分に何が出来るのか?」2022年12月30日 こちら
・出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E8%AC%99