こんにちは!エンタメ政治班のtsubasaです。
2024年9月に開催される自民党総裁選に、
参議院議員の青山繁晴さんが出馬を表明されました!
まだ主要メディアでは、報じられておりませんでしたので、青山さんの経歴を調べていたところ、奥様の千春さんも夫の繁晴さんと同様に、多彩な経験と実績をお持ちのことを知りました。
改めて、青山繁晴さんと、妻の千春さんの出会い、馴れ初めなどにも興味が湧き、リサーチしてみました。
本当に運命の糸で結ばれていたというか、すてきな(適切な言葉が見つからないくらい)お二人でした。
よろしければどうぞ、ご一緒しましょう。
青山繁晴の妻は青山千春(ひはる)さん
調べて観ましたら、青山繁晴さんの創設した独立総合研究所の代表取締役社長をされていることが分かりました。
まず始めは、こちらの会社就任あいさつからご紹介です。
妻・青山千春(あおやまちはる)さんプロフィール
2021年4月1日より、青山千春が独立総合研究所(以下、独研)の代表取締役社長に就任いたしました。
独研は、初代社長の青山繁晴による創建当時より不動の理念を持ち続けています。
それは、私益ではなく国益のためにこそ、純然たる独立系シンクタンクとして民の智恵で国を動かすことです。
これからもこの灯火(ともしび)を高く掲げ、日本がいつまでも日本であり続けますよう、三代目社長として力の限りを尽くしていきます。株式会社 独立総合研究所 代表取締役社長 青山千春
Chiharu Aoyama , the president of Japan’s Independent Institute Inc.写真・紹介文引用元:株式会社独立総合研究所HP
wiki風 情報
青山千春(あおやま ちはる)
生年:1955年(68 – 69歳)・・・夫の青山繁晴さんと3歳差。
出身: 東京都豊島区
研究分野:海洋環境工学、海洋音響学、海洋物理(モデリング)、海底地質学、航海学、海事法規、安全保障技術
研究機関:株式会社 独立総合研究所
出身校: 東京水産大学
航海士を目指す、独特な生い立ち
両親の専門的で芸術性を極める研究思考に大いに影響を受けたと思われます。
以下、wikipedia記事より要約紹介。
父親は、旧帝国海軍足柄軍楽隊とNHK交響楽団で勤めたスタジオ・ミュージシャンでトランペッターの横川秀男。
母親は、同じく音楽分野で活躍していたNHK交響楽団ピアニストの横川和子。
二人の間に一人っ子として生まれ育ちました。
幼少期から音楽に慣れ親しんだ生活を送り、足柄軍楽隊勤務の父から海にまつわる話を多く聞き、女性ながらに、海に憧れて航海士を志します。
青山繁晴さんと千春さんとの馴れ初めは?
千春さんは、自身の夢を追い、就学自体が当時は男性にしか門徒が開かれていなかった航海士の道へ進みます。
1974年4月に東京水産大学水産学部漁業学科へ入学。大学院在学中の1978年夏の日本一周航海実習が取材され、その航海の模様を産経新聞の人間広場が掲載した。
アルペンスキーで負傷した両膝を療養中であった早稲田大学生の青山繁晴は、9月に産経の記事で千春を知ると「この人だ」と感じ積極的にアプローチしていきました。その後に、記者を志望する青山を応援する思いと恋が芽生えたようです。
繁晴さんは、1971年4月慶應義塾大学文学部に入学するも、3年時、1974年2月に中途退学し、早稲田大学政治経済学部を受験、入学。そのため、千春さんとの年の差は3歳差だが、彼と同学年でした。
共同通信社の追加募集を見つけた当時の恋人で現在の妻である千春から勧められ、採用試験を受験し合格。1979年3月、早稲田大学政治経済学部を卒業。
そして、青山繁晴は、社会人1年目の春、1979年5月25日、在学中の千春と席を入れることとなります。
千春は、水産大学は休学期間が最長2年間であるため自主退学し、学業を再開可能な機会を待ちつつ専業主婦となった。
青山繁晴さん同様、奥様の千春さんの社会活動も多岐にわたり、また専門性があり、こちらでご紹介しきれません。
繁晴さんが千春さんを紹介する際には、青山千春博士と呼ぶのも徹底されています。
その学術見地や、その活動の中のひとつには日本海にメタンハイドレードの存在を確認されて、日本のエネルギー資源として有効である旨も発信されています。
詳しくは下記書籍をご紹介します。
青山繁晴のご家族は政治の家系?
青山繁晴の生い立ち
1952年7月25日、兵庫県神戸市長田区に生まれ。
父親は、青山濱二。8人兄弟の一番の末っ子。
明治維新後創業の実家、家業である青山織物株式会社の神戸支店に勤務。後に社長就任。
母親は、青山 喜賜子。津山藩 ( 現在は岡山県の一部 ) の武家の出身。
実家の武家が甚だしく没落のため少女時代から言葉にできないような屈辱と悲惨さを日記に記し、その日記を生前、息子の青山繁晴に見せていた。その見事な文章力に感嘆し大いに影響をうけた繁晴氏は、小説家としての才能も発揮することとなる。
参考文献:青山繁晴の道すがらエッセイ
ご家族は政治の家系?
青山繁晴は、このふたりの間に、3人兄弟の末っ子として育ちます。
よって、政治家のご家系であったわけではなく、母の伝えた「天下晴々と使命を果たしなさい」の実践をする延長線上での周囲からの要望と、自身の使命感に従い、政治家として現在に至る。
よって、政治家の家系とは無縁である。
青山繁晴のお子さんは?
男のお子さんお二人を授かり、妻・千春さんの航海士としての就学再開と重なった育児は、ドラマのようであり、また父親の育児参加の最先端を行くものであったと思われます。
現に、青山繁晴さんは、妻を遠洋航海に送り出し、夫がその育児に従事するという方針に、大反対をしていたようで、その過程もエッセイに披露されています。
・・・(前略)
母も父も別に、「女性を守れ」とは言いませんでした。
ぼくは父と母の家庭教育を、おのれなりに統合し、「女子を徹底的に護る」ということを生き方のひとつにしました。それを実践しています。
この実践が無ければ、たとえば、とっくに青山千春博士は船 ( 海洋調査船 ) を降ろされ、メタンハイドレート、メタンプルームへの日本の取り組みはまったく異なったものになっていたのだろうと、これもごく客観的に考えています。
ちなみに、青山千春博士がふたりのまだ幼い男の子を残して、長期の遠洋航海に出るとき、母は「あんたが言えば、千春さんは言うことを聞く。子供を苦しめる、この乗船は無くなる。とめるべきや」と猛然と反対しました。
ぼくは「この遠洋航海を逃せば、二度と船に戻ることはできない。子供はぼくが責任をもつ。政治記者の仕事がどんなに忙しくても工夫して、母親が帰ってくるまで立派に育てる。子は、親の背中を見て育つ。心配ない。断固、遠洋航海を支持します」と撥ねつけました。
母は大泣きをして、「そんな子に育てた覚えはない」と言いました。
ぼくは、「そんな子に育ったから、女性の夢を護る。お母さん、女も男も夢は同じや。きっと将来は、社会と国のためにもなる」と答えました。
そのとき父は、医療過誤で、現役社長のまますでに亡くなっていました。
父はぼくに寛容でしたから、もしも健在でも何も言わなかったでしょうが、おそらく腹の中は母と同じだったのではないでしょうか。・・・(後略)
引用元:青山繁晴の道すがらエッセイ
長男:青山大樹(株式会社 独立総合研究所前社長)
次男:現時点、非公開と思われます。
まとめ
青山繁晴の妻・青山千春(ひはる)さんとの馴れ初め、家族は政治の家系?お子さんは?のまとめ
妻・青山千春(ひはる)さんとの馴れ初め
→ 青山繁晴さんが、学生時代の千春さんの海洋航海記事にふれ、「この人だ!」とひとめぼれしアプローチ。
卒業と同時にご結婚されています。
また恋人時代の青山繁晴の進路について、情報を提供し、背中を押してくれたのが、千春さんでした。
その後、繁晴さんは、千春さんの航海士になりたいという夢を、子育て主夫の先駆けをしながら応援しました。
青山繁晴さんのご家族は政治の家系?
→ 繁晴さん、妻の千春さん共に、政治家の家系ではありませんでした。
青山繁晴さんのお子さんは?
→ 男の子二人。
長男:青山大樹(株式会社 独立総合研究所前社長)
次男:エッセイなどのエピソードに「次男」の名称で登場のみ。
最後までお読みいただきありがとうございました。
自民党総裁選2024年の立候補、ぜひ、青山繁晴さんのような方の活躍を見てみたいと思いました。
今後も政治の世界を勉強しながら、見守っていきます。