こんにちは! 奇跡ドバドバtsubasaです。
水川あさみさん主演のTBS金曜ドラマ「笑うマトリョーシカ」、最終回放送から1週間がたちました。
衝撃強すぎて、感想が書けませんでした。
櫻井翔さん演じる政治家・清家一郎と、玉山鉄二さん演じる有能な秘書の関係性に、新聞記者(水川あさみ)が迫っていくところから始まった物語でしたが、あれよあれよという間の急展開に、黒幕はだれ? 操っているハヌッセンはだれ?と終始水川さん演じる道上香苗と走り抜けた最終回の結末は、ドラマとして観れば考えさせられる・・・しかし、しかし、、、と感じたお話でした。
登場人物になりきってその場面の感情を感じてみたり、現実の出来事と重ねて観たりし始めると、あまりにショックが大きすぎて(笑
そんな観方するからか!?
いずれにしても、一度、気持ちを整理する意味でも、最終回まとめ、感想を書いてみたいと思います。
以下「笑うマトリョーシカ」最終回結末ネタバレとなります。
ドラマ版の最終回としては、各事件の黒幕、そしてハヌッセンが誰だったのかも伏線回収されていましたね。
ドラマ版としての大胆なアレンジもあったなか、すばらしい脚本構成だったと感じました。
ドラマアレンジは、原作者の早見氏への相談が丁寧になされたようです。
その結果として、第1話にも登場されています。すてきですね。
では早速、予告編映像からの放送後、感想ネタバレまとめです。
第11話 最終回予告
最終回 道上vs操る者!! 清家のハヌッセンの正体とは!?
浩子(高岡早紀)は清家(櫻井翔)を操るハヌッセンではなかった。 そしてB G株事件には、前外務大臣の諸橋(矢島健一)だけでなく、総理大臣の羽生(大鷹明良)も関与していた――。 そんな衝撃の事実が次々と明らかになった矢先、清家から「僕のブレーンになってほしい」という突然の提案を受けた道上(水川あさみ)は、ブレーンとしてそばにいることで清家のハヌッセンを突き止められると考え、その提案を受け入れることに。 ことあるごとに道上に意見を求め、道上の考えをそのまま吸収して自分の言葉にする清家。そんな清家を目の当たりにし、道上はある種の充実感を抱き始めるのだった。 そんな中、山中(丸山智己)から一刻も早く羽生と諸橋がB G株事件に関与していた証拠を公開し、2人を失脚させるべきだと促された道上だが、政権と敵対すると清家のブレーンを降りることになると考えた道上は、悩み始め…。
予告映像から、どんな結末を迎えるのか、ドキドキして視聴しました。
第10話で、真中亜里沙の告白に頭がクラクラして、一郎の母浩子からも一郎との絶縁の話を聞き、言葉にならないまま、最終回の第11話を観ることになりました。
第11話最終回の見どころは、やはり政治家・清家一郎と、ジャーナリスト道上香苗の真剣対面シーンでしょう。
清家一郎の本心。「見くびるな!」
ヒトラーのブレーンを務めたハヌッセンは、ある時期、暗殺された。
一郎は、大学時代にこのヒトラーとハヌッセンの関係性をテーマに論文を書いていた。
道上に言う、「その時のヒトラーの気持ちはどんなだったと思いますか?」
きっとこういう気持ちだったと思いますよ。
と、その本心を自身の気持ちに重ねって言い放った。
マトリョーシカを、つぎつぎに中から出して、
演じていた自分をみて、見くびる相手に苛立ちを持ち、相手の最悪の場面で切り捨てる。
そのように復讐してきたつもりの一郎。
一番中心のマトリョーシカの表情は、怒っているように見えるという。
そんな道上は、一郎のもっともっと奥をみつめて「助けてほしい!」と当初から感じていた一郎の悲鳴が聞こえているのか涙があふれてくる。
そしてそんな道上には、一番中心のマトリョーシカの表情は、泣いているように見えるという。
絶妙な対比でした。
そして、道上は、浩子から預かったBG株事件の政治家関与を示す証拠資料を開示することにした。
羽生総理も職務を追われ、その最中に、道上に伝えたいことがあると、
一郎の実の父・政治家、和田島芳孝と、一郎との関係を暴露する。
なんと、武智先生の補欠選挙に応援演説に来てくれたときに一度あったのみで、ずっと関係性がないと思われていた二人には、当選直後から和田島の家へ頻繁に出入りしている関係であったこと。
そして、和田島がBG株事件の政治家関与をもみ消したこと。
さらには、もろもろの闇社会とのつながり、裏の顔も知っていたとのこと。
何たることか!
清家一郎は、秘書官の鈴木俊哉には秘密裡に、真中亜里沙に会い、そして父・和田島に会い、巧みに無力を装い、俊哉のアドバイスを引き出し、絶縁をたたきつけた浩子の情報までも後援会長を務めてくれていた佐々木を通じて受け取り、なんという才能の持ち主なのでしょう。
この末恐ろしさを理解しつつも、道上と上司の山中は、和田島まで情報を出さず、一郎を守った・・・のでしょうか。
カセットテープの証拠には、和田島のことまでは会話に出てこないため、羽生総理が口を割らなかったので追求を待逃れたのでしょう。
逆に和田島まで追求されたとしても、死人に口なし。
清家一郎との親子関係も認知されているわけではなく、一郎の著書にそう記載されていたとしても、事実関係としての関連性追求やスキャンダルにはなりえないのでしょう。
そして最後に描かれたのが、5年後の姿。
清家一郎が、総理大臣になっていました。
「権力には、蜜の味がする」と語っていた一郎。
一番おどろきおののいたのは、鈴木俊哉の交通事故によるケガの出来事に、黒幕はだれなのか?
俊哉は「浩子に殺される!」と恐れていた訳ですが、実際には、一郎本人の差し金だった様子が描かれたことでした。
最終的には、その計画は失敗して、その後、官房長官就任直後に、BG株事件との関係性をリークし、秘書辞任で切り捨てるという行動に至ったわけですが、交通事故に見せかけて殺してしまおうとしていたという事実。
これも受け取りがたい展開でした。
俊哉とも語っていた、悲願。
はたして一郎の悲願とは、達成されたのでしょうか?
ドラマ版オリジナルの部分について
原作には色々な親子が出てきます。
清家と浩子、浩子とその母、鈴木と父、亜里沙と母。
原作を読んで、それぞれが親からの「宿命」を背負っていると感じました。
それを背負った上で、子たちがどんな生き方をしていくのか。
その「親子」という部分をドラマ版ではさらに掘り下げたいと思い、道上の父、母、そして息子がいる設定を、早見先生に確認の上、加えさせていただきました。
道上にはBG株事件をスクープした元新聞記者である・父がいて、そして物語の冒頭で父が衝撃的な事故死を遂げるという宿命を背負わせました。
その道上が、父の死、過去の汚職事件、そして清家一郎とどう対峙していくのか?
母の復讐心を背負った浩子と、息子・一郎という全ての始まりである歪な親子の関係性と、道上の父から道上へ、そして息子へと代々伝わっていく思いを対照的に描くことで、道上だからこその浩子や清家との向き合い方、家族との向き合い方をドラマ版では肉付けできたらと思いました。
また、道上に息子がいる設定を加えたことで、私個人的には「仕事を持つ親」という側面も掘り下げたいと思うようになりました。
なかなかドラマの中では描きづらい部分もありますが、使命を持って第一線で働きながら子供を育てる親の葛藤、悩み、家族との向き合い方、両方を完璧にできるわけないし、失敗もあるし正解はないですが、諦めずに全力で日々仕事のために子どものために奮闘している姿、ということも、このドラマのひとつの要素として描けたらと思いました。
引用元:yahooニュース
『笑うマトリョーシカ』橋本芙美Pが語る最終回の見どころ「ついに、ハヌッセンの正体は?という答えが確実に分かります」
https://news.yahoo.co.jp/articles/6895ff7bc267eb9e67907b44b7275ab403e2994d?page=2
この親子の宿命を物語の背骨として描かれているのは、まさに早見先生の真意ですね。
映像化にあたって、松本清張作の「砂の器」をとても尊敬し、意識しているとおっしゃっていました。
また笑うマトリョーシカの作品の中でも、一郎が高校時代に、はじめて心を許した友人たちとなった鈴木と佐々木を家に招いてドラマを鑑賞しているシーンでは、感激して涙を流す一郎と彼がビデオデッキから回収するビデオテープのタイトルに『砂の器』が映っている。
親子の宿命。
これは永遠の物語。早見先生の人間性を描きたいという奥には、間違いなくこの親子の宿命が在る。
この「宿命」をキーワードとして受け取った橋下プロデューサーの丁寧な作品づくりがドラマで遺憾なく発揮されたと感じました。
清家一郎の幸せとは
清家一郎という人物の求めているものはなんでしょうか。
今政治家として、更に上へ進もうとしている。
これまでブレーンとして力を貸してもらった(勝手に貸してくれた? 貸してくれるように仕向けた?)人たちを次々と切り捨て、第10話のエンディングから、最終回と、道上香苗を秘書に招き入れた。
ようやく出会えた信頼できる人間関係と感じた。
しかしまだ自分は誰かに操られていると決めつけてきた。
「見くびったな!」
この怒りの奥に眠っているもの、それは、祖父母からの復讐でもなく、まして母からのマインドコントロールでもなく、純粋に、分かって欲しい。
本当の自分自身を、分かって欲しい。
自分でも、本当の自分は分からないが、でも、自分を分かって欲しい。
その思いが「僕を観ていてください」の言葉に出ていたのだと思います。
清家一郎の悲願、宿命とは
清家一郎の悲願とは・・・。
(第3話の37:30くらい)
2006年、東京の清家一郎事務所が開設したときのエピソードです。
荷物を運び終えて、ビールで乾杯!一郎と鈴木俊哉との関係も、ここから、代議士と秘書として一線を引こうという会話がなされます。
そして、自然な流れで、一郎は語りだします。一郎:「まずは父親と同じポストを目指す、そしてその先にある悲願を目指す。」
俊哉:「それはなに?」
一郎:「いずれ話すよ、その時には鈴木にも手伝ってもらわないといけない。」
この話の内容が、16年越しに、初入閣と同時に刊行された自叙伝『悲願』に表現されているのでしょうか。
しかし、最終回まで観て、一郎の悲願とは、
父と同じ役職、官房長官にまでなったら、それを一緒に喜びの最中に、
鈴木俊哉、お前を切り捨てる。
自分を見くびったおまえに復讐してやる。ということになるのでしょうか。
そう考えると、すべて辻褄が会うような気はするのですが、清家一郎という人物の悲しさ、そしてその心の奥底からの助けてほしいの叫び、道上香苗の心に届いてよかったと思います。
宿命とは、祖母からの親子関係に尽きますね。
ただ親子関係と一口に言っても、そこは時代背景があり、後の世代がたやすく語れるものではないでしょう。
どんな時代も、その本人たちは、本人なりの想いで精一杯生きてきた。
そしてつながれた命が、いまここに、私たち一人ひとり。
まとめ
「笑うマトリョーシカ」最終回結末、清家一郎の幸せ、悲願、宿命とは!? 何でしょうか・・・
ドラマの最終回までみて、しみじみ考えさせられています。
また悲願、強く思い願うこと、
そしてその思いが湧いてくる、醸成される背景に、親子関係があり、その宿命は永遠である。
砂の器のエンディングにも通じるメッセージ。
宿命をどのような華として咲かせるかは、自分自身の意識の成長具合で変わってくるのではないか。
こんな境遇だったから、殺人を犯してもしようがない。。。となるなら、身も蓋もないのではないか。
どんな環境にあっても、宿命であっても、お天道様と歩ける生き方はできるのではないか。
どうすればそうすることができるのか。
清家一郎を通じて教えてくれていると感じるのは、
人は皆「自分を分かって欲しい」と思っている生き物・・・。
これがヒントのように感じた次第です。
清家一郎は、あの見くびった友人たちとの高校時代を懐かしく思う心もある。
そして、道上香苗がジャーナリストとして、公開質問で、一郎の本当の自分を引き出そうと対峙してくれている。
鈴木俊哉は、自身のタブーとしていた父のBG株事件が公になり、晴れて子供の頃からの夢であった政治家志望として立ち上がることが出来た。
清家一郎は、幸せだろうか?
本人も、関わった人たちも、みんなマトリョーシカをひとつ、ひとつ脱ぎ捨てている。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ただいま、総裁選が真っ最中ですね。
実際の政治の局面では、都合が悪いから暗殺・・・(@@; なんてことは、無いことを願うばかりです。
最終的に9名の立候補者となり、だれが新総理の座につくのか。
笑うマトリョーシカのおかげで、興味津々となりました。
自国の政治の代表者、いままで興味をもっていなかったこと、不思議なくらいです。
ドラマの力ってすごいな!!