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【甲子園・高校野球】学校紹介のBGM「栄冠は君に輝く」の歌詞と、作詞、作曲の作者は?

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こんにちはtsubasaです。
あなたにとって【甲子園・高校野球】のテーマソングと言えば、どれですか?
近年は、大会ごとにテーマソングが選出され、大会イメージに彩られています。
どれも名曲ですが、最近は歌詞付きであまりというか、ほとんど耳にしなくなった、あの楽曲は、ご存じですか。

そう、少し前まで出場校の学校紹介の際に、オルゴールメロディで流れていた曲です。

その曲こそ、【甲子園・高校野球】のテーマ曲、名曲中の名曲
『栄冠は君に輝く』です。

制作年、1948年からはや70年を超え80年にもなろうかという、長年、全国高等学校野球選手権大会の大会歌として、大会に華を添えています。
2023年の開会式では、山崎育三郎さんの独唱がすばらしかったです。

今回は、あの懐かしい甲子園の学校紹介時流れていたBGMの楽曲の名前なんだっけ?と、
良い歌詞だなぁ、2番3番も聞いてみたいなぁと思った流れで、
そもそもどんな方が創られたのかしら?
を調べてみることにしました。

よろしければ、下記「栄冠は君に輝く」の歌詞と、作詞、作曲の作者との邂逅、お楽しみください。

目次

「栄冠は君に輝く」の歌詞

『栄冠は君に輝く』

雲はわき 光あふれて
天たかく 純白の球きょうぞ飛ぶ
若人よ いざ
まなじりは歓呼にこたえ
いさぎよし ほほえむ希望
ああ 栄冠は君に輝く


風をうち 大地をけりて
悔ゆるなき 白熱の力ぞ技ぞ
若人よ いざ
一球に 一打にかけて
青春の讃歌をつづれ
ああ 栄冠は君に輝く


空をきる 球のいのちに
かようもの 美しくにおえる健康
若人よいざ
みどり濃き しゅろの葉かざす
感激をまぶたにえがけ
ああ 栄冠は君に輝く

作詞 加賀大介
作曲 古関 裕而

やっぱり、2,3番まであったのですね。
甲子園の大会歌を募集しただけに、2,3番も高校野球の風景が歌われている内容です。
1番の歌詞を読み終えると、なんだか球場の歓声が「うぇおーーーー」と聞こえる感じがしてしまうほど、聞きなじんでいるってことですね。


2023年夏の甲子園大会の開幕式に、『栄冠は君に輝く』の独唱がありました。
バックスクリーンに作曲家の古関さんの紹介映像アナウンスもありました。
youtubeに映像が残っていましたので、こちらをご紹介させていただきました。

「栄冠は君に輝く」の作詞者

作詞者は、加賀大介(かがたいすけ) 本名は、中村 義雄。

加賀大介プロフィール

  • 生年月日:1914年10月1日-1973年6月21日(没58歳)
  • 出身地:石川県能美郡根上町(現:能美市)
  • 職業:作詞家
  • 本名:中村 義雄
  • 改名:ペンネームの一つであった「加賀大介」に改名

経歴 加賀大介は、日本の作詞家で、特に「栄冠は君に輝く」の作詞者として広く知られています。石川県能美郡根上町で生まれた彼は、若い頃から文学や詩作に興味を持ち、後に短歌や演劇の会を主宰するなど、文芸活動に積極的に取り組みました。

加賀自身は、16歳の時に野球の試合による怪我がもとで右足の膝から下を切断していたとのこと。
そのこともあり野球への想いはとても強く、自宅前の小学校で子供たちが野球をする様子をよく見ていたと言われています。

野球は恋していたが、一度も甲子園に足を運んだことはなかったそうです。
没後、妻の道子さんが甲子園大会に招待され、その際、作曲者の古関裕而さんと対面され、彼から「いい歌詞ですね」と伝えられた逸話が残っている。

作詞エピソード

朝日新聞社は、1948年、全国高等学校野球選手権大会の大会歌を募集した。
加賀大介は、当時婚約者であった高橋道子の名前を借りて「加賀道子」というペンネームで応募。
彼はプロの文筆家であることから「懸賞金目当て」と見られることを避けたいのが理由であったとのこと。
5000件を超える応募のなかから、その作品が見事に選ばれ、「栄冠は君に輝く」として日本中に広まりました。

当選し、日本中に知れ渡り、毎年甲子園で聞く名曲となり20年がたった1968年、本当の作詞家の真実が公開されました。
第50回大会を機に、加賀は真相を公表し、晴れて「加賀大介作詞・古関裕而作曲」と表記されるようになる。

当時、募集賞金は5万円で、そのころの公務員給与の約10倍以上。
加賀大介は「絶対本当のことを言っちゃだめだ」と、後の妻となる高橋道子(金沢地方貯金局職員)に言い、彼女はそれを従順に守り通していた。
新聞記者からも作詞のきっかけをたびたび質問された時も「スポーツが好きですから」と取り繕ったという。

「栄冠は君に輝く」の作曲者

作曲者は、古関 裕而(こせき ゆうじ)

本名は、「勇治」。28歳(1927年)頃に、本名では勇ましすぎると感じ、ペンネームとして「裕而」に変更した。

古関 裕而プロフィール

  • 生年月日:1909年8月11日-1989年8月18日(80歳没)
  • 出身地:福島県福島市
  • 職業:作曲家
  • 学歴:旧制福島商業学校(現・福島県立福島商業高等学校)

経歴 古関裕而は、日本を代表する作曲家で、特に戦前から戦後にかけて数多くの名曲を手掛けました。彼の作曲した楽曲は、国民的な愛唱歌として広く親しまれており、「栄冠は君に輝く」「六甲おろし」など、スポーツに関連する楽曲も数多く手掛けています。

彼の作品は、戦争の時代や復興期の日本を勇気づけ、多くの人々に希望を与えました。
生涯で5千に及ぶ曲を作曲したとされる。

生まれたのは、福島県福島市大町にあった老舗呉服店「喜多三(きたさん)」の8代目当主、父・古関三郎次と母・ヒサの長男として誕生しました。
代々続く呉服店ですから、当時としては裕福なご家庭ですね。
お子さんに恵まれず養子を考えていたところに誕生されたため、両親からの可愛がられようも一層でした。

音楽への影響は、父親の三郎次さんが音楽好きで、大正時代ではまだ珍しかった蓄音機を購入し、浪曲、民謡、吹奏楽などのレコードをいつも聴いていたことが大きかったようです。
古関氏は、このような幼少の頃から多種の音楽がいつもある生活の中で育ち、ほとんど独学で作曲の道を志すことになりました。

作曲エピソード

古関裕而氏が1948年に作曲した夏の全国高等学校野球選手権大会の歌「栄冠は君に輝く」は、その心躍る旋律により、現在まで70年間にわたり歌い継がれ、高校球児が青春を捧げる夏の甲子園の風物詩となっている。

1948年、新制高等学校が誕生し、「全国高等学校野球選手権」が開催されること をきっかけに、朝日新聞社が大会歌の作曲家を古関裕而氏に依頼した。

古関氏は甲子園球場へ行き、「無人のグランドのマウンドに立って周囲を見回しながら、ここにくり広げられる熱戦を想像しているうちに、私の脳裏に、大会の歌のメロディが湧き、自然に形づくられてきた。やはり球場に立ってよかった」と自伝の中で述懐している。

夏の甲子園開催にあたり、4年連続で「栄冠は君に輝く」に合わせてダンスを行うCMが放映され話題を呼んでいることや、いわゆる「夏の甲子園」だけでなく地方大会や夏以外の大会でもしばしば流されていることなどから、この歌の持つ明るさや爽やかさは、高校球児の持つひたむきに勝利を目指す純粋さと重なり、今では高校野球を象徴する希望と勇気を与える曲として、高校野球人気を支える大きな役割を果たしている。

引用:福島市 古関裕而記念館HPより(https://www.kosekiyuji-kinenkan.jp/person/baseball.html

古関氏の自伝を調べてみました。
下記の書籍ですね。


「栄冠は君に輝く」の参考情報

朝ドラ「エール」

2020年3月30日~同年11月27日にかけて、古関をモデルとしたNHK連続テレビ小説『エール』が放送された。
出演は窪田正孝が主役を務め、登場人物名は「古山裕一」となっている。子供時代は石田星空の配役。

作詞家として20年も夫との約束を守り通した妻、道子の役は、二階堂ふみが演じています。
栄冠は君に輝く通り、俳優陣の皆さん活躍し続けていらっしゃいますね。

古関氏、「栄冠は君に輝く」を甲子園で聴く

1977年、「栄冠は君に輝く」制定30周年を記念して夏の甲子園の開会式に招待されています。
大会旗掲揚時に大会歌「栄冠は君に輝く」の大合唱が起こり、その光景に感激されたといいます。

かくいう古関氏は、プロ野球、大学野球にも、応援歌の楽曲提供をしているにもかかわらず、野球への関心はほとんどなく、球場に足を運ぶということはほとんどなかったと言います。本当に音楽一筋の方だったようですね。

また、この大会では、古関氏の母校・福島商業高校が甲子園初勝利し自ら作曲の校歌を甲子園で聴いてもいます。
ちなみに、学校関係の校歌提供数は、100曲越えとなります。

ざっくり、集計は、大学: 15校 高等学校: 37校 中学校: 28校 小学校: 22校 その他: 皇宮警察学校 1校
合計で 103校
高校の名前の中には、甲子園で名前の聞く学校もありました。
本当に作曲界でご活躍の方なのでした。

まとめ

【甲子園・高校野球】学校紹介のBGM「栄冠は君に輝く」の歌詞と、作詞、作曲の作者は? のまとめです。

最近は、甲子園の大会歌として「栄冠は君に輝く」の歌詞付きで聴く場面が減っていていますので、歌詞を引用紹介するとともに、楽しんでいただけたらと思います。

「栄冠は君に輝く」の作詞者は、加賀大介(かがたいすけ)
「栄冠は君に輝く」の作曲者は、古関 裕而(こせき ゆうじ)

お二人とも、本当にすてきな経歴であるとともに、印象的だったのが、愛妻家というか夫婦二人三脚のお姿が感じられました。そんな二人の作詞作曲だからこその、名曲が生まれたのでしょうか。
そんな印象もうけた今回のリサーチでした。

最後までお読みいただきありがとうございました!
高校球児、応援して参りましょう!!

エピソード類は、
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この記事を書いた人

セミナー企画の仕事を20年ほどしております。
その中で経営者、心理学、心、社会の仕組みに必然的に興味を持ち、その延長で、気になる情報をブログで発信しはじめました。

世界に影響を与えている出来事、背景、人物からアニメまで、それらの情報を学びながら、まとめていきますので、読者の皆様の知りたい情報入手の時間短縮や、へぇー、ほー、なるほど! になれば、うれしいなと思っています。

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