国歌「君が代」いつ、だれが、世界国歌ランキング1位の、歌詞の意味と何番まで? 海外の声

みーはー読書
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こんにちはtsubasaです。
一昨日5月3日は、憲法記念日。

憲法というと、ちょっと難しく感じてしまうのですが、
そもそも、日本の国のことって、あまりよくわかっていない自分に気付き、
簡単そうなところから、調べてみようと、日本の国の国歌「君が代」についてリサーチしてみました。

オリンピックや、スポーツの国際舞台に外すことのできない国歌斉唱。
ラグビーワールドカップ2019日本大会では、海外チームを受け入れる地域で、
そのチームの国歌を覚えて歌って迎えたことが感動を呼び、とても話題にもなっていました。

国歌とは、自分の大きな両親とでも言いますか、
自分を育ててくれた国、国土、自然、私自身という感覚があるのですね。

現代の日本では、多少その感覚が薄くなっている感はありますが、
でもやっぱり、例えば海外で、訪問先で歌ってくれたら、
歓迎してくれている、私をまるごと受け入れてくれていると感じるのではないでしょうか。

ということで、日本の国の国歌「君が代」について、分かりやすくを意識してまとめてみました。

「君が代」いつ、だれが

「君が代」が国歌になる経緯は、諸説あり、また現在の「君が代」のメロディになるまで、2回ほど変更されているようです。
調べると、ここではざっくりと整理してみます。

いつできたの? だれがつくったの?

これも一口に伝えられないのでした。
まずは、楽曲として、作詞と作曲があります。
それぞれの年代が違うからなのです。
国によっては、詞(うた)が無い国歌もあるとのことですが、日本の場合は聞きなじみの歌詞があります。

 

作曲について

こちらは、ある程度明快に記録が残っています。
国歌として「君が代」が生まれた背景としては、下記のような流れです。

1870(明治3)年、イギリス公使から国歌があった方がいいと進言されます。
この時代、西洋列強の植民地化時代です。
東洋諸国は、西洋諸国との関係づくりのなかで、西洋のしきたりを学び、野蛮国ではなく、対等に向かい合うに値する国であるということを、懸命に整えていたのです。
(先日、不朽の名作・ミュージカル『王様と私』を観劇してきましたが、まさにこの時代のイギリスとシャム国(現・タイ国)の物語でした)

以下、海上自衛隊音楽隊のHPに、作曲の経緯を紹介されていましたので抜粋します。

明治3年に作られた礼式曲の初代「君が代」は、イギリス陸軍軍楽隊長J. W. フェントン(John William Fenton, 1831-1890)の作曲です。

初演は、明治3年9月8日、東京・越中島における天覧練兵の際に、薩摩藩楽隊による演奏とされています。しかし、日本人の感性に合わなかったことから、明治9年に初代海軍軍楽隊長の長倉彦二(後中村祐庸(すけつね)と改姓名)から「天皇陛下ヲ祝スル樂譜改訂ノ儀」と題する上申書が提出され、宮内省と改訂の方向で検討に入りました。

その結果、新たに作り直されたのが現在の国歌「君が代」です。
明治13年11月3日の天長節に、宮内省式部寮雅楽課によって宮城内で初演されました。
この時点では、いわゆる国歌としての位置付けで取り扱ったのは、海軍省と宮内省のみでした。歌詞の選定および作曲者に関しては諸説あります。歌詞は『古今和歌集』所載の〝我が君は…〟で歌い出される「読み人知らず」の古歌とされています。

作曲者は、宮内省楽部伶人の林廣守とされていました。
しかし、現在では多くの研究書があり、諸説あることから、ここでは言及をさけておきます。

この「君が代」は、海軍軍楽隊のお雇い教師、ドイツ人のF. エッケルト(Franz Eckert, 1852-1916)によって吹奏楽用に編曲され、明治21年に海軍省から各条約国に「大日本禮式」(JAPANISCHE HYMNE)の題名で送付したとされています。調子は、フラット(♭)二つの変ロ調でした。

明治26年8月12日の官報第337号に載った「祝日大祭日歌詞竝樂譜」の文部省告示は、次のとおりです。文部省告示第三號
小學校ニ於テ祝日大祭日ノ儀式ヲ行フノ際唱歌用ニ供スル歌
詞竝樂譜
別册ノ通撰定ス
明治二十六年八月十二日   文部大臣井上毅別冊には、「君が代」「勅語奉答」「一月一日」「元始祭」「紀元節」「神嘗(かんなめ)祭」「天長節」「新嘗(にいなめ)祭」の八曲が、楽譜付で載っています。解説には、「國歌君が代」と記述されていることからも、「君が代」は国歌として位置付けられていたことが確認できます。

引用:海上自衛隊東京音楽隊HP (https://www.mod.go.jp/msdf/tokyoband/kimigayo.html)

いかがでしょうか。
なかなか、ここまででも、ややこしいのではないでしょうか。

明治 3年 初代作曲が、フェントン(英)制作。天覧練兵の際に、薩摩藩楽隊演奏。
※天皇陛下視察の兵隊訓練
明治 9年 日本人の感性に合わなかったことから、改定作業開始。
明治13年 改訂版「君が代」(現在の国歌)を初演奏。
11月3日の天長節(天皇の誕生日の祝日)に初演奏。
明治21年 改訂版をエッケルト(独)により吹奏楽用に編曲。
海軍省から各条約国に「大日本禮(礼)式」(JAPANISCHE HYMNE)
題名で送付。※直訳は、(日本の讃美歌)
明治26年 文部省の告示にて、小学校の祝祭日に歌うものとして制定。

という流れがあるので、何を起点にするかで、作曲年を表現しにくいのです。
さらには、近年の研究で、この明治3年の初代作曲の前に、明治2年7月に英国王子(当時の英国ヴィクトリア女王の次男エジンバラ公)が来日する際、まぼろしの初々代作曲があったのではないか?という説もあります。参考図書:『海軍七十年史談』(1942年発刊)

確かに、この混乱時、そのようなこともあったのではと妄想してしまいます。
一番はじめの国歌制作の目的は、外交儀礼のためだったはずでしたので、その記録が残っていてもおかしくないのに、そこが明確でないのは・・・。
しかし、真偽はともかく、それほどの状況だったと、それを先人たちは乗り越えたと捉えるのでよいのではないかと思いました。

 

作詞について

作詞については、国歌として検討する際に、一般大衆により知られている詩ということで選ばれたようです。
当時は、お祝いの席などで歌い舞うときの代表的な歌だったとのこと。
そして、その歌が収容されている原書は、下記の2点とされています。

西暦1013年頃の平安時代にあった歌集「和漢朗詠集
君が代は千代に八千代に
さざれ石のいわおとなりて
こけのむすまで
『和漢朗詠集』(わかんろうえいしゅう)は、平安時代中期の歌人で公卿の藤原公任(藤原北家小野宮流)が漢詩・漢文・和歌を集めた、朗詠のための詩文集である。長和2年(1013年)頃に成立。

西暦905年「古今和歌集※ 三四三」
わがきみは千世にやちよに
さざれいしのいわおとなりて
こけのむすまで
(題しらず 読人しらず)
※『古今和歌集』(こきんわかしゅう)とは、平安時代前期の歌集。全二十巻。
醍醐天皇の命により編纂され、905年(延喜5年)に奏上され、最初の勅撰和歌集として位置づけられている。

 

「君が代」歌詞の意味と何番まであるの?

歌詞の意味

「和漢朗詠集」
君が代は千代に八千代に/さざれ石のいわおとなりて/こけのむすまで
現代の歌詞と全く同じです。

「古今和歌集三四三」
わがきみは千世にやちよに/さざれいしのいわおとなりて/こけのむすまで
(題しらず 読人しらず)

古今和歌集では、和漢朗詠集の「君が代」のところが「わがきみ」となっています。
「わがきみ」とは、女性が尊敬の念や、愛する男性に対して用いた言葉です。

この(題しらず 読人しらず)として収録された歌は、平安時代の女性の「恋の詩」であることが分かります。全文を現代風に訳してみましょう。

「わたくしの愛する人の命が、どうか長く続きますように、
小さな小石が寄り集まって大きな岩となり、それに苔が生えるほどまで、
どうかすこやかに生きてくださいませ」

日本の国歌となった君が代の原歌は、平安時代の女性の愛する男性への恋の歌だったのです。

参考文献:「日本のこころの教育」境野勝悟著 致知出版社 (2001/7/2)

 

何番まであるの?

文部省の調査結果では、3番までとのことです。
インターネット上では、4番の存在もみかけるようですが、一応公式には3番までとなるようです。
以下は、wikipediaより抜粋紹介となります。

1985年(昭和60年)2月26日の閣議で松永光文部大臣は文部省の調査で「君が代」には3番まで歌詞があると報告している。それによれば、

君が代

  一 君が代は 千代に八千代に さゞれ石の
    巌となりて 苔の生すまで

二 君が代は 千尋の底の さゞれ石の
  鵜のゐる磯と あらはるるまで
三 君が代は 限りもあらじ 長浜の
  真砂の数は よみつくすとも

このうち、二番は源頼政のよんだ歌、三番は光孝天皇の大嘗祭に奉られた歌。

 

日本の国歌「君が代」・国歌ランキング1位とは?

やっぱりなんでも1位って、うれしいですよね。
世界の国歌をランキングしてくれているサイトがありましたので、一部抜粋参考にてお届けします。

ただ、ランキングするにも、定義するのが案外むずかしいみたいです。
曲のテンポも一定していなかったり、時により演奏する長さを変えていたり、中には改定されているものもあるためだそうです。
直近の東京オリンピック2021時点の実績では、国連に加盟している国は193か国あり、それぞれの国にはNational Anthem(国歌)があります。
そこで実際に演奏されている国歌の中で、フルバージョンの楽曲長さ、文字数最小、制作年歴史長さでランキングしてみました。
参考(楽曲長さ、文字数最小):訪日ラボ(https://honichi.com/news/2019/10/09/nationalanthem/)

 

楽曲時間長さ:ギリシャ

現在、世界で一番長い国歌はギリシャの「自由への賛歌」です。
壮大な雰囲気の曲であり、158節、実にフルバージョンで55分の長さ。

国歌に指定されているのは24節(11分)までで、通常は2節しか公の場では歌われません。
元になっているのは1823年にギリシャの詩人であるディオニシオス・ソロモスの「自由への賛歌」という叙事詩であり、1865年に国歌として使われるようになる。

国歌はIOC(国際オリンピック委員会)の規定で90秒以内の演奏と決められているとのことで、
私たちは、まずお目にかかれないと思います。
ギリシャの正式な式典とかですと、必ず1時間も国歌斉唱があるのでしょうか。
もしかしたら、ギリシャでも、フルバージョンで聞けるのは希少なのかもしれません。

 

文字数少なさ:日本

実は日本の「君が代」が文字数では一番短い国歌です。
演奏時間はおおよそ1分余りです。
これより演奏時間の短い国歌はありますが、歌詞がたったの32文字。これはダントツ1位のようです。

「君が代は 千代に 八千代に さざれ石の 巌(いわお)となりて 苔(こけ)のむすまで」

これは和歌の5・7・5・7・7が元になっていて君が代は字余の5・7・6・7・7です。

 

歌詞の原点時代歴史の長さ:日本

国歌の歴史として比較すると、日本の国歌については、実は日が浅いということになります。
これまで、作曲作詞とみてきましたが、国の法律で正式に国歌と定めたのは、
平成11年(1999)8月9日なのです。

明治のそれぞれは、各省の告示で、実質国歌として運用をしていましたが、
法律での制定はなされていませんでした。

  国旗及び国歌に関する法律をここに公布する。
御 名 御 璽
平成十一年八月十三日
内閣総理大臣 小渕 恵三  法律第百二十七号
国旗及び国歌に関する法律
(国旗)
第一条 国旗は、日章旗とする。
2 日章旗の制式は、別記第一のとおりとする。
(国歌)
第二条 国歌は、君が代とする。
2 君が代の歌詞及び楽曲は、別記第二のとおりとする。
(以下「略」)

と、制定は新しいのですが、上記で紹介しました、その原点となる歌詞の原文制作年で比較すると、世界最古の国歌ということになります。

『ギネス世界記録』にも認定されている日本の国歌「君が代」は、世界最古の国歌。

The oldest national anthem is the Kimigayo of japan,the words of which date from 9th century

「世界最古の国家は、日本の「君が代」である。その歌詞は、9世紀に始まる」

 

「君が代」海外の声

メロディだけで聞き比べると、大概勢いのある国歌が多いなか、日本の国歌「君が代」は、暗い感じがします。
一部には葬儀の曲のようだとの声もあったようですが、ネットの声を集めてみると、
その歌詞についても知られているようで、絶賛されています。
また歌詞(の意味)までは知らなくとも、何か心の内側に響いてくるとの声も多いです。
うれしいですね。
以下、ユーチューブの紹介されているものを添付しました。

 

まとめ

日本の国歌「君が代」について
いつ、だれが作ったのか、国歌ランキング1位となるのはどんな条件についてなのか、
歌詞の意味と何番まであるの?の疑問、そして「君が代」についての海外の声。
いかがでしたか。
最後にまとめてみます。

・いつ、だれが作ったのか。
明治初期ではあるが、どの時点を起点とするかで異なるため、判断が難しい。
また誰がについても同様である。
一言でまとめると、外国との外交が必要となり、そこで儀礼としての国歌を必要とした。
内外の知恵を終結して、楽曲をまとめた。
歌詞については、古来からの文献「古今和歌集」9世紀頃の収録歌を採用した。

・「君が代」は、世界の国歌ランキング1位に
歌詞の文字の少なさ部門、歌詞の原点創出年代の歴史長さ部門にて1位(ギネスにも登録)でした。

・歌詞の意味と何番まであるの?の疑問
歌詞の意味は、平安時代の女性が、愛しい男性へむけた恋の詩。
歌詞は、公式には3番まである。

・「君が代」についての海外の声

私は、君が誰かの君臨を意味し、皇帝の治世を指すものと困惑したんだ
でも愛する人に書かれたものと知り、
愛する人は天皇ではなく日本国なんだと分かった。軍事的な意味を含むものが多い中、日本は愛する人のための歌、なんて素晴らしい!君がを初めて聞いた時は 鳥肌が立ったことを覚えています。私は、伴奏も何もない独唱の「君が代」が好きで、涙が出てきます。君が代は、愛する人が長く生きることを望んでいるのですね。
そこに革命や敵は存在しない人々が、健康で平和に 暮らしたいという願いが込められている。なんて尊いのでしょう。国家というより美しい讃美歌のようですね。

歌詞を知るまでは、なんて暗い曲だと思っていました。
しかし、歌詞を知りなんて神々しい、そして気高い国なのだろうと思いました。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!
今年は、フランス・パリ・オリンピックですね。
日本の国歌「君が代」、愛と平和の詩、世界に鳴り響け♪

 

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