大谷翔平 地元・蘇民祭千年の歴史に幕。子供の頃出てた?【ナニコレ珍百景】

テレビ
スポンサーリンク

テレビ朝日「ナニコレ珍百景」毎週日曜日 19時00分~20時00分放送

▼岩手・奥州市…今年で最後!熱気あふれる○○争奪戦…
全員ふんどし&足袋姿で1200年続いてきた伝統の蘇民祭に密着

蘇民祭、密着取材先の黒石寺は、
岩手県奥州市といえば、MLBドジャースで活躍する大谷翔平選手!

大谷選手のご実家も近そうですね。
子供の頃とか出てたんでしょうか・・・興味津々。
調べてみました。

黒石寺はどこにあるの?

岩手県奥州市水沢黒石町山内17

JR水沢駅から5,6kmのところです。

 

蘇民祭とは

蘇民信仰・・・『備後風土記』の中に蘇民信仰の逸文が残されている。

 

『備後風土記』の中に蘇民信仰

北海の武塔神(たけあきのかみ)が南海の神の娘をめとろうと旅に出、途中で日が暮れた。

そこに蘇民将来と巨旦将来という兄弟が住んでいた。

兄の蘇民(そみん)将来は大変貧しく、弟の巨旦(こたん)将来は裕福で家や倉を百余りも持っていた。

武塔神は弟に一夜の宿を借りようとしたが断られ、やむなく兄の家に泊めてもらった。

兄は粟の飯でもてなした。

後に武塔神は八人の王子と帰る途中、兄の蘇民将来の所に寄り
「かっての報いをしよう。おまえの子孫がその家にいるか」と問うと、
「妻と娘がいる」と答えた。

すると「茅の輪(ちのわ)」を腰に着けるよう命じた。

その夜、神は蘇民と妻、娘を除いてすべてを滅ぼしてしまった。

そして「私は須佐之男命(すさのおのみこと)なり、後の世に疫病あらば蘇民将来の子孫といい、腰に茅の輪をつける者は疫を逃れるであろう」と言った。

武塔神・須佐之男命・牛頭天王・薬師如来は同一神仏であるという。

 

蘇民祭:裸の男と炎のまつり

蘇民祭の詳細

旧正月七日夜半から八日早暁にかけて行われる。厳寒積雪中の裸祭りで、災厄消除・五穀豊穣を祈願する。祭りは次の五つの行事からなる。

 

蘇民祭の5つの行事

●1 夏参り(裸参り、祈願祭ともいう・午後10時~)

●2 柴燈木登り(午後11時半~)

●3 別当登り(午前2時~)住職が、蘇民袋を従えて本堂に登り、厄災消除・五穀豊穣の護摩を焚く。

●4 鬼子登り(午前4時~)数え年7歳の男児二人が麻衣をつけ、鬼面を逆さに背負い大人に背負われ本堂に登る。鬼子が本堂に入った後、住職が外陣に出て曼荼羅米(まんだらまい)をまく。次いで、外陣中央にある護摩台に燃えさかる松明が置かれ、鬼子がこのまわりを三度めぐる。

●5 蘇民袋争奪戦(鬼子登り終了後~)

 

まとめ・大谷選手はお祭りに参加していたのか?

子供の頃、参加していたのかは、分かりませんでした。
お祭りの主役として参加されていたら、数え年7歳のとき、鬼子役ですね。

それとも、お祭り見物で参加されていたでしょうか。
・・・どうでしょう?
子供の頃から、お父様と野球一筋の様子でした。
参加はされてなさそうですね。(^^;

ちなみに〇〇は、5番目の「蘇民袋」争奪戦でした。

将軍木(かつのき)[=ヌルデ]※ で作った長さ3センチ位の六角柱の小間木(こまぎ)[=蘇民将来護符]五升がぎっしりつまった蘇民袋を裸の若者たちが奪い合う。開始後まもなく袋に刀が入れられ中の小間木がとび散るが、この小間木を持っている者は、厄災をまぬがれるといわれ、競って手に入れようとする。更にカラになった袋の争奪戦が1時間あまり続き、審判役の親方が取主(最後に袋の首に部分を握っていた者)の判定を下して祭りは終わる。(妙見山 黒石寺 解説より)

※将軍木(かつのき)[=ヌルデ] → 読みが同じなので、勝軍木の誤植かと思われます。

将軍木は、熊本県指定天然記念物のムクノキ?
ムルデは、ぬるで (白膠木・塩麩子)
「材は軽く軟らかいので、各種の細工物に用い、関東では正月の祝い箸や削り花を作る。かつては采配の柄を作るのに用い、勝軍木と呼んだ。乾燥した材は、燃すと激しく爆ぜるので、護摩に用いる。」
木材について参照 → http://www.atomigunpofu.jp/ch2-trees/nurude.htm

蘇民祭 参考・引用: 妙見山 黒石寺 https://kokusekiji.jp/

タイトルとURLをコピーしました