「や台ずし」生みの親、吉岡昌成会長、息子・妻・家族の支える人づくり経営の原点とは?【カンブリア宮殿】

テレビ
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こんにちは、奇跡ドバドバ!のtsubasaです。

2024年4月25日のカンブリア宮殿に、株式会社ヨシックスHDの会長・吉岡昌成さんが出演されることを知りました。
今、急成長されている、「すし居酒屋」の「や台ずし」の背景にある経営眼力が注目されているのですね。

番組紹介には、下記の記載でした。
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職人が握る本格寿司をウリにしながら、客単価3000円という手頃さで人気となっている「や台ずし」。
全国で約320店舗に急拡大し、売り上げも右肩上がりだ。
手掛ける株式会社ヨシックスホールディングス、実は建築業も営んでいて店舗の建築も手掛けている。
実は会長の吉岡、実家は町工場を経営していたが「ダッコちゃん」のブーム終了で借金を抱えた過去が。
いかにして独自の戦略にいきついたのか。独自の経営術に迫る!
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どのような時代の変化でも、衰退するものもあれば、そこに新しく産まれてくるものがあります。
「や台ずし」の伸展の背景にあるもの。
やはり、創業者の人柄、想い、それを生み出した環境に、興味が湧きます。
なぜ興味が湧くかと言ったら、そこになにか成功のルール、大自然の法則があると感じるからです。

「や台ずし」考案、創設された吉岡昌成会長には、奥様、息子さんと家族の支える温かな人間関係づくりが原点となっているのでは? と感じた次第です。

下記、リサーチをまとめてみました。
番組放送の前後にも、楽しんでいただけましたら、うれしいです。

 

吉岡昌成さんプロフィール


写真:中部経済新聞 my way特集(https://www.chukei-news.co.jp/yossix_202011/)

名前  : 吉岡 昌成(よしおか まさなり)
生年月日: 1954年7月18日生まれ
年齢  : 69歳
出身地 : 大阪市生野区

大学卒業後、建築関係の仕事に就き、社会人スタート。大手弁当チェーンの店舗の建築を請け負うため、自らもフランチャイズ契約をむすび、弁当屋を出店。これが、飲食事業の始まりとなる。のちに、自社ブランド『や台や』『や台すし』を立ち上げ、ブレイク。株式上場の基盤をつくる。
現在は、株式会社ヨシックスホールディング会長を務める。

 

吉岡昌成さんの経営者DNA原点・父

「だっこちゃん」人形エピソード

工場に関して鮮明に残っているもっとも古い記憶は、6歳の時のこと。

大流行した「だっこちゃん」、空気でふくらませる黒いビニール製の人形で、抱きつけるように両手、両足が丸くカーブしており、腕につけて歩いたりするのがブームに(1960年・昭和35年)
だっこちゃん人形のブームが急激に去ると、父の手元に残ったのは借金とビニール製の人形を製造するための機械だった。

そこで父はこの機械を売却し、工業用ミシンを購入して、アメリカへ輸出するためのノベルティー用の袋物の製造を開始した。家内工業なので、家族は好きも嫌いもなく仕事に携わることになる。

私は末っ子で、姉が3人、兄が1人いたが、姉は早くから家の手伝いをしていた。姉や兄が働いていれば、当然、最年少の私も仕事にかり出されることになる。袋物を裏返して内側の余分な部分を切り取るような作業は、経験も技術もない子どもの私にもできた。

この仕事が私は嫌いだった。手伝いたくなかったし、継ぎたいとも思わなかったので、父とは別の仕事をするために、工業高校では機械科へ進んだ。

家業は継がなかったが、私は父から受け継いだものがあった。

商売の種を自ら見つけて打ち込む商売人の血であり、いずれは自分も商売を始めるようになるだろうと、子どもの頃から漠然と思っていた。

参考文献:中部経済新聞 my way特集
https://www.chukei-news.co.jp/yossix_202011/

 

「や台や」グループ親会社 ヨシックスHD会長・吉岡昌成

建築関係、退職~弁当屋建築部門へ

ガス会社の建築部門に就職するも退職し、その後ご縁で大手弁当チェーンの店舗の建築を請け負う仕事を開始。

同時に自らも店舗オーナー経営者へ

建築業を主体のなか、吉岡昌成さん自らFC契約を結び、弁当店を始めたのが飲食を手がける第一歩となる。
昭和56、57年ごろ、ホカ弁の伸び盛りの時、メインの建築の売上高は最高で50億円へ。
一方で、FCオーナーとしても名古屋、仙台、豊橋、岐阜とかで20軒以上経営。

時流にもまれ、お弁当事業の低落

ところが、“弁当屋バブル” が崩壊。
店舗を名古屋に集約し、業態変換は何かないかと実験。
弁当屋さんでもうけたお金を全部つぎ込み「や台や」を創めるまでに、10年間で2億円を投資。
うどん屋、お茶漬け屋、それにハンバーガーショップも。いろんな店を開けては閉めた。
流行や、若い女性を狙った企画を立てていったが、いずれのプロジェクトも半年を過ぎると客足が遠のいた。

最後にもう一度だけ、自分の行きたい店を作った

飲食関係はあきらめかけたが、最後に、もう一度だけと、「自分がおいしい」と思うものをお客さんに提供する店を出した。
それがお好み焼き居酒屋の「や台や」。
オープンキッチンにして、目の前で作ったものを食べてもらうのが原点。冷凍食品は使わない。
そうしたら、日がたつにつれて売り上げがどんどん上がってきた。
「もう1回だけ」で始めた『や台や』がブレイクした。

今までやってた弁当屋を『や台や』に衣替えすると、弁当屋時代には、出会えなかった人材が入社してきた。
寿司屋で働いてた子が、『や台や』見て、『寿司屋させてくれ』と声をあげてきた。
昌成さんは、『よっしゃ、わかった。ワシが店作ったるから、君は、88円で本マグロの寿司が出せるようにせぇ』と応え、これが『や台ずし』誕生の瞬間でした。

8坪18席の店で、月商900万円の売り上げも!

こんな記録どうしたらたたきだせるんだろうか?
単純計算で客単価3000円を1日8時間で30日で書けても、常に満席だと・・・と思っていたら、

こんなことを吉岡会長がお話されていました。

「8坪いうてもね、店の前の歩道までお客さんがあふれて、そこに縁台置いて食べてもろてるわけやから。実際は8坪どころやないわな(笑)。

時々、警察が注意しに来よるんやけど、お客さんが
『わしら好きで、ここで飲み食いしてるんや』っていうてくれはって。
この言葉聞いた時は、飲食業やってる者として、冥利に尽きる、思うたね」。

やっぱり、会社の共に働くスタッフも家族なら、
お客様も家族みたいなつながりを作ってしまう人間力がそこにある。
そう感じずにはいられないです。いかがでしょうか。

伸びていくなかで、株式上場の選択

ピンチが、チャンスを生む。劇的な弁当業界の変化が、逆に新しいヨシックスを産み出した。
吉岡会長は、そこでさらに前に進む。

事業の展開が大きくなるについて、その管理部門の強化が必要になってくるのは理解できていたが、営業主体で経営してきた感覚から、管理部門への注力になかなか着手できなかった。
そこで株式上場の選択をとる。目的は組織を強くすること。
そしてそれは通過点とし、上場したからこそできる事業体へとさらに躍進。

「株主も、社員も、アルバイトも、パートさんも、そして何よりお客様、みんなが笑顔になってくれる、それが一番や」と。

『や台や』をオープン1998年、『や台ずし』は2000年。
2014年に株式上場を果たし、2016年のインタビューにそう答えている。

参考文献:組織を強くする、それが株式上場の狙い。
https://in-shoku.info/foodfighters/vol557.html

 

吉岡昌成の息子「吉岡 裕太郎」さん

父、昌成さんの影響で証券会社に入社、しかし・・・

幼少期の裕太郎には、実家は建築会社でした。
その一方で、飲食事業が年々拡大し、上場準備をし始めている父の姿をみて、証券業界に関心を持ち、大学卒業後、証券会社に就職。
ところが、営業マンとして活躍し始めた矢先、思わぬ交通事故に見舞われてしまいました。

半年の入院生活後、父の会社へ。

不慮の交通事故に遭い、半年くらい寝たきりの生活を余儀なくされます。
そのような時、父の昌成さんが、上場準備をしている会社の決算書類を持って相談にきたのだそうです。

「どういう会社なのか、今後どうなっていくだろう」などと興味が湧き、父・会長を手伝いたいという想いになり、転職、入社を決断。

裕太郎さんは、創業時からの組織をつくりあげている父の背中を、子どもながらに見ていたことも決断のひとつになったと語っています。
決算書をもって相談にいった父・昌成さんも、一緒に働きたいと思っていたのではないでしょうか。

今、人づくりの中核を担う。

2018年から専務取締役として、IPO(新規公開株)に向けて、総務課長として入社。
「新卒2、3年目でいきなり課長職で入って同意してもらえるのか。反発を食らうのではないだろうか」と不安を抱きながらのスタートだったが、しかし、社員の誰もが特別扱いせず、自然に受け入れられる。

これもそのような社風、組織作りが出来ていた、父・昌成さんの人間力だと思われます。
現在は、HD傘下の株式会社ヨシオカ建装の代表取締役も務めています。
2019年時点で、社員数は700人。アルバイトも含めると従業員数は4000人近く。
ますますヨシックスホールディングス全体の中核を担っていかれることでしょう。

 

吉岡昌成の奥様?「吉岡 光代」さん

株主

ヨシックスホールディングスの株主欄に、奥様らしき方のお名前を見つけました。
全体の3%ほど所有されているようです。
2019年段階では、昌成さん個人と、株式会社吉岡で50%以上を保有。
2024年現在は、若干下がり50%を割っているようですが、人づくり経営が浸透している感がありますので、特に問題ないでしょう。

財団の評議員

吉岡昌成さんは、一般財団法人ヨシックス記念財団を2017年に設立。
財団設立の目的は、下記。

経済的理由により修学が困難な愛知県内の専修学校・短期大学・大学・大学院に在学する学生に対し、奨学金の給付を行い、また、愛知県内の大学もしくは研究機関に在籍、また愛知県内に居住し大学もしくは研究機関に在籍し研究を行う研究者もしくは研究団体に対し研究助成を行うことによって社会有用の人材を育成することを目的に「一般財団法人ヨシックス記念財団」を設立いたしました。

2023年には、奨学生の一般募集も開始されています。
2024年の募集は、いまのところ掲載されていませんが、公式サイト下記を参照ください。
http://yossix-m-foundation.or.jp/

吉岡光代さんは、評議員に名を連ねており、財団創設者の昌成さんをここでも支援されています。

 

まとめ

「や台すし」生みの親である吉岡昌成会長が活躍される背景に、奥様、息子さん家族が支える人づくり経営がある。
をあらためてまとめてみます。

・吉岡昌成さんの経営者としてのDNA、原点は、父にあり。
商売の種を自ら見つけて打ち込む商売人の血であり、いずれは自分も商売を始めるようになるだろうと、子どもの頃から漠然と思っていたとのこと。

「や台や」グループの親会社 ヨシックスHDの会長・吉岡昌成さんの会社成り立ちのエピソード
いつでも、どんなときでも、ピンチをチャンスに変化させる粘り強さとアイデア工夫。
そこには、ご縁される方と温かい家族のような人間関係がいつもある。

・吉岡昌成の息子「吉岡 裕太郎」さん、奥様?「吉岡 光代」さん、そして関わる皆が家族のような心のつながり
子供の頃から父の背中を見ていた息子さんが合流し、いまや組織づくりの中核を担う。
そして、苦楽を共に歩んでこられた奥様は、財団運営など社会貢献の場づくりをされている。

このような背景から、株式上場後に語った、
「株主も、社員も、アルバイトも、パートさんも、そして何よりお客様、みんなが笑顔になってくれる、それが一番や」
の言葉が改めて響く。

あったか家族雰囲気の人づくり経営が、今時代に求められているのだろう。
ますますのご発展を心より応援しております。

最後までお読みいただきありがとうございました。

放送後 TV未公開映像youtube

インタビューにお人柄出ていますね。

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